カギを握っているおしぼり
「(金融システム問題の)現状はまだ市場の不安心理に弾みがつくリスクがないかどうか注意深くモニターしていく必要があり、この点は政策運営上、当然考慮すべき一つの要素だ」「金融政策運営の本質的な難しさは、経済の先行きや経済メカニズムについての知識が限られ、不確実性も多い中で、明確な決定を下さねばならないということにある」いずれも「しかし、それらを越えてゼロ金利解除を決断する」ことの意義深さをアピールするための修飾表現に過ぎなかった。
「独立性を確保したN銀マンにしかなし得ない思い切った措置」との自負。
だが、市場は、金融システムが抱える問題の奥深さを読み取り、Yが強調した不確実さを、N銀が動かない場合への事前のエクスキューズ(言い訳)と受け取った。
解除シナリオの思わぬズレに、Hが動いた。
週明けの七日の国会で、「デフレ懸念の払拭が展望できたと思っている」と改めて明言、八日の月例経済報告関係閣僚会議の場でも、「デフレの恐れはなく、決定会合で議論したい」と、週末十一日の会合での決着を予告するような発言をした。
八月十一日も猛暑だった。
東京では三三・六度まで気温が上昇した。
週末を控えた同日、人々はすでにお盆休暇の準備を始めていた。
七月のそごう破綻以来、不安定な動きを続けていた株式市場は、八月も月初から様子見で日経平均一万六千円を前後する展開だった。
ゼロ金利解除を決めた十一日の相場は、株価指数オプション八月物の特別清算指数(SQ)算出日でもあったが、解除は織り込み済み、SQも波乱なく、日経平均は一万六千円台を一応、回復した。
内外で議論を呼び、N銀も気を配った解除の当日にしては、平穏に見えた一日だった。
市場の関心は、もはやゼロ金利を解除するかどうかではなく、政策委の票読みと、政府が議決延期請求権を発動するのかどうか、という点にあった。
政策委は午前九時に始まった。
まず、いつものように執行部が最新の金かどうか、という点にあP融経済情勢の報告を行った。
▼足元では株価は小康状態。
長期金利は八月初めに幾分低下、その後、ゼロ金利解除の思惑から一・七%台前半に上昇。
短期金利は○・一五%の利上げをおおむね織り込む水準。
▼社債流通利回りの対国債スプレッドは修正の範囲内で、そごう問題の影響は限定的。
ジャパン・プHは執念で、市場の誤算を修正し、政治・政府に正面から決意を突き付ける手に打って出たわけだ。
「九月にズレ込みも」との観測さえ出ていた市場のムードは一気に変わった。
一人の副総裁の一人三脚路線に委ねていた世論対策や政府との調整を、「まどろっこしい」とばかり、老総裁が一蹴し、解除への正面突破を完遂したといえる。
恐らく、五年間の総裁在任中、Hのリーダーシップが発揮された唯一とも言える場面だった。
AとBの懸念に対しては、解除賛成派が明瞭に反論している。
Aには、先に見た「ダム論」を前提にし、ある委員が「構造調整やリストラをこなしながらの回復過程では、どうしても『企業先行・家計遅行』の姿にならざるを得ないので、家計部門の改善テンポが鈍いことを問題視する必要はない」Bのデフレ深化の懸念についても、「円高の影響や技術革新、流通革命あるいはこれらをテコにしたレミアムはほぼ解消された状態。
▼円の対ドル相場は、七月末の一ドルU一○九円台後半から、一時一○七円まで買い戻される。
中期的には引き続き円高基調。
▼米経済は内需主導の力強い拡大が続くが、住宅投資など家計支出には鈍化傾向がみられはじめ、景気減速との見方も台頭。
▼国内実体経済の外生需要は、純輸出が増加傾向、公共投資も補正予算執行に伴い高水準で推移。
国内民間需要は設備投資が増加、個人消費は全体としてなお回復感に乏しい。
住宅投資も横ばい。
▼物価の現状に大きな変化はない。
▼企業からみた金融機関の貸出姿勢は厳しさが後退、企業の資金繰りも改善傾向が続き、企業金融は緩和感が広がりつつある。
こうした情勢報告を元に、委員の大勢が「デフレ懸念の払拭が展望できるような情勢」に至ったと領いた。
現状認識を巡る委員の意見交換は明らかに七対二の構図になっていた。
一はNとU。
解除反対の主な理由は、@米国やアジア経済の先行き減速の可能性A個人消費が一進一退の状況から抜け出せていないB消費者物価やGDPデフレーターがマイナスを続け、川下にいくほど物価低下圧力が高いゼロ金利解除がその後、失敗に帰するのは、二○○○年後半以降の米景気減速を受けて、Nが再び失速してしまうためだった。
その米経済の動向については事務方の情勢報告では。
部に減速論も台頭」していることも紹介されていた。
しかし、八月十一日の議事要旨には、政策委の間で、そうした見方を精査したやりとりは紹介されていない。
米経済の予測を議論し合うと、出口を見い出せなくなることを恐れたのかもしれない。
実際、FRBが前年以来とってきた景気過熱を調節する引き締め策にもかかわらず、七月二十八日に発表された四六月の米実質GDP伸び率(修正値)は前期比年率五・七%増と、一三月期の四・八%増を上回った。
設備投資の伸びが大きかったためだが、一方で個人消費の減速傾向も確認された。
米市場では、物価動向が落ち着く中で、FRBがさらに追加利上げに動くかどうかに関心が集まっていた。
結果的に、FRBはこの後、動かず、景気減速が明らかになった年明けの一○○一年一月三日に○・五%の利下げ、以後、同年中に十一回に及ぶ連続利下げを続ける。
二○○一年末にはFFレートは内外価格差縮小の動きなどで、需要とは異なる要因が物価下落方向に作用している」との説明が記されている。
「良い物価下落」論だ。
いずれも外部向けのN銀理論だった。
世論工作用の説明を、政策決定会合で使うということは、議論がお互いの立場を確認し合う形式的なやりとりだったことを物語る。
だが不思議なことに、議事要旨を読む限り、そうした形式論議にもかかわらず、解除反対派が提示した@の米経済の先行き懸念への明確な反論は見当たらない。
昼の休憩からの再開後、約一時間半ほど立って、議長案とN案が提出された。
N案は、従来同様の量的緩和策の採用であり、議長案がゼロ金利解除案。
「無担保コールレート(翌日物)を、平均的にみて○・二五%前後で推移するよう促す」議案が出た時点で、一瞬、だれもが次を待つ雰囲気となった。
ゆったりとした楕円形の大テーブルを囲む委員たちの視線を一身に受ける形で、Hの隣に座っていた大蔵省政務次官の村田吉隆が緊張気味に口を開いた。
「N銀法十九条第二項に基づき、議決の延期を求める必要性について、大蔵、経済企画一・七五%まで下がる。
FRB自体が様子見状態の段階で、N銀の政策委が米経済の先行き懸念を踏まえることはできなかったとの説明は可能だ。
ただ、各委員がFRBの様子見にどう配慮を加えるか加えないかという議論がなく、解除反対委員の懸念論の提示のみで終わったのは解せない。
N銀の景気判断を示す「金融経済月報」では、米経済の評価について、六月までの「依然としてインフレ懸念が残る」から、七、八月は「拡大が続く米国経済も、株価上昇による資産効果に依存する部分が大きい」と資産バブル懸念を指摘して、「注意深くみていく必要がある」と位置づけている。
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